若い頃は・・・
「今日の晩ご飯を何にするか」なんて、若い頃は、ほとんど考えたことがなかった。
当たり前ながら、独身の頃なら母親が、結婚してからは当時の妻が考えていたから必要がなかったから。
仕事をして、スポーツをして、趣味を楽しんでと、どちらかというと、意識は家の中より外へ向いていた気がする。
家に帰れば、ご飯があるのが普通だった。
こういう言い方をすると、家のことは全くしない夫と思われるかもしれないが・・・。
自分としては、家事、育児とできることはしていた(つもりである・・・💦)。
料理と時間
離婚を経験して、母は痴呆が進み、家ではとても面倒が見れなくなったので施設のお世話になってる。
(離婚原因は別の記事にて)
そして、子供たちとの生活が始まり、毎日の現実は思った以上に大変ではあった。
朝起きて、
洗濯をして、
ご飯を作って、
片付けて、
仕事行って帰って、
また次の食事を考える。
最初の頃は正直、「大変だな…」と思った。
料理そのものより、
(((毎日続くこと)))
それが大変だった。
- 今日は何を作ろうか?
- 冷蔵庫に何が残っていたか?
そういうことを考えるようになった。
そして、さらに考えるようになった。
「どうしたらもっと効率よく作れるのだろう?」
「どうしたら短い時間で作れるのだろう?」
と。
要するに『時短術』とは何ぞやと。
でも、経験を積めばその時短術もわかってきて、だんだんと出来だすものなのである。
(詳しくは別記事に書きます。)
お財布事情も当然頭に
昔はスーパーに行っても、なんとなく買い物かごに入れていた。
でも今は違う。
- 野菜の値段を見る。
- 肉の特売を見る。
- 冷蔵庫の残りを思い出す。
- あと食費にどれくらい使えるのかと。
気づけば、かなり生活感のある人間になっていた。
若い頃の自分が見たら、たぶん驚くと思う。
不思議な料理の世界
料理って、不思議だと思う。
最初は『作業』だった。
でも続けていると、少しずつ気持ちが入るようになる。
- 卵焼きがうまくできると少し嬉しい。
- 味噌汁がちょうどいい味だと安心する。
「うまい」
と言われると、やっぱり嬉しい。
特別な料理じゃなくていい。
ちゃんと食べてもらえることが、案外一番嬉しかったりする。
時短術がわかってきたり、美味しいものが作れるようになってくると、不思議と大変さは薄まり、「うまい」と言わせてやろうとやりがいも感じるようになるのである(笑)。
弁当作りも
離婚当初は、まだ子供たちが学生だった。
小中学校は給食があるからいいのだが、高校になると弁当がいるようになる。
卵焼きに、唐揚げ、おにぎりに、少しだけ野菜のおかずや、冷凍食品や前夜の残り物などを組み合わせて作ってた。
凝ったものではない。
昔の自分は、こんなふうに朝から台所に立って、誰かのために弁当を作る人生になるなんて、たぶん想像していなかった。
若い頃は、もっと派手なことばかり見ていた気がする。
スポーツで結果を出したり、趣味に夢中になったり、はっきりとした『結果』の出ることが好きだった。
でも今は、こういう時間の方が、案外大事なんじゃないかと思っている。
料理って、一回だけ頑張るのはできる。
たとえ2時間かかって凝った弁当を作るのも、そのときだけなら出来るだろう。
でも生活になると違う。
毎日なんてできるわけがない。
今日作って終わりじゃない。
明日もあるし、冷蔵庫の残りも考える。
洗い物もあるし、買い物にも行かなきゃいけない。
家族がいると、自分だけで完結しない。
「今日はこれでいいか」だけでは回らない日もある。
だからこそ、毎日のご飯をちゃんと作っている人は、すごいなあと今更ながら思う自分がいるのです。
最後に
実際に自分でやるようになって、初めて分かった。
若い頃は、料理ができる男、今でいう『料理男子』って、少し格好いいものくらいに思っていた。
でも今は、料理ってもっと地味で、もっと生活そのものなんだと思う。
逆に『料理男子』のカッコよさもわかった。
- ちゃんと食べること。
- ちゃんと暮らすこと。
- それを毎日続けること。
案外、そういうことの方が難しい。
でも人生を少し回り道してきた今は、そんな時間も悪くないと思っている。
そういうことの方が、結局は大事なんじゃないかと思っている。
このブログは自分の人生の事実のみを題材に書かせてもらってます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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