MENU

目標だった全国大会。バレーボールがつないだ不思議な縁

部活動というものは、中学校から始まる。

今でこそ190cmくらいの身長だが、中学入学時は決して大きくはなかった

そんな私は、隣に住む幼馴染に誘われるまま卓球部へ入った。

そのころギターも始めた(詳しくは別ブログに書いている)。(笑)

卓球はあまり強くなかったと思う。

部員の中でも真ん中くらい。

でも、身長は伸びた

目次

高校でバレーボールと出会う

高校入学時に身長は180cm超えていた。

1年にデカいやつがいる

ということで先輩が勧誘に来た。

少し怖い先輩に半ば無理やりという感じで入部させられた。

体育の授業や遊び程度の経験しかない私には少々不安はあったが、幸いなこと(?)に強豪校ではなかった。

体育館の使用日が、他の部活と振り分けられていて、週に3日しか練習がない。

この環境が強豪校になれない理由なんだろうな。

とは思ってたが、でもこれが私にとって好都合で、部活がない日は音楽室でギターを弾いていた。

その高校に吹奏楽部がなく、軽音楽部が存在していて、そこでギターを弾いていた。

バレー部も部活がある日は、まあまあしごかれた。

中学でバレー経験のない私は、ついていくのがやっとだった。

特にレシーブが。

強豪校でもなく、練習も毎日でもなく、休日の部活もあまりしないバレー部だった。

それなのに3年生の試合では、まあまあ強い学校に勝ったことがある。

そのころには、身長も188cmくらいあって、しかもその大会でやけに自分でも不思議なくらい調子が良かった。

相手校に中学時代の同級生がいたのだが、

「お前ひとりにやられたよ」

と褒められて高校の部活を終えた。

いい感覚も自分のものに出来ていたんだと思う。

社会人になる

大学へは進学せず、地元に就職してからは、バレーをする機会がなく、しばらくはバンドに熱中してた。

この頃ドラムと出会ってる。(これも別ブログに書いてる)

そんなある日、地元の体育館の横を通った時、バレーをやっていそうな音と声が聞こえてきた。

夜だったし、学生の部活じゃないだろうと興味本位で見てみると、社会人であろう年齢のチームが練習してた。

しかもレベルは高いチームであるのはすぐわかった。

しばらく忘れてたバレーだけど、高校最後の感覚がよかっただけに、いいイメージが蘇った瞬間だった。

そこで、ある人が俺の存在に気付いて近寄て来た。

音楽もバレーもこのひとの・・・

それは中学の先輩で、あの文化祭でギターを弾いてカッコよく歌っていた、私の音楽人生のきっかけを作った人。

《この内容は👉こちらのブログを読んでいただくとパズルのピースがはまります。》

バレー部だというのは知っていた。

高校はどこに進学したのかは知らなかった。

後話だが、高校は県内の強豪校に進学し、大学もバレー推薦で強いところに行っていたらしい。

でも、家業があるから帰ってきたとか。

「久しぶりだな」

その先輩とは話はしたことはあっても、そんなに私のことを覚えているとは思えなかった。

どうやらギター(もちろんケースに入っているが)をもって通学してたのを見かけたらしく、

「こいつもギター弾いているのか」

気になっていたらしい。

その時思ったことがある。

「この先輩、もっと大きかったような・・・」

中学の先輩はみんな大きい(身長が高い)イメージだった。

それは先輩のせいではなく、自分が大きくなったのである。(笑)(笑)

その時190cmはあって、もう少し成長して193cmまでなった。

「大きくなったなあ、高校ではバレーやってたんだってな」

これまたびっくりで、なんで知っているの???となってると、

「○○から聞いたよ」

そこでパズルがはまった。

○○とは、高校の試合で、

「お前ひとりにやられたよ」

と言ってくれた中学の同級生だった。

その日の練習は来てなかったが、○○もそのチームに入っていた。

後にに再開し、今度は同じチームでプレイできるようになったのが嬉しかった。

バレーボールふたたび

そんな流れで、バレーを再開することになって、練習に参加したら、部活以上にかなりキツかった。

それと、半端な高校でのバレーしか知らない私にとって、かなり専門的にやってきた皆さんは凄かった。

そんなチームだから当然『試合で勝つ』というのが当たり前の目標になる。

そのために練習をする。

キツい。

けど楽しい自分がいる。

練習が終わった後の『ビール』が最高に美味い。

これが楽しみと言っても過言ではない。

一緒にメンバーと飲むと、練習では聞けない話も聞ける。

これも楽しみのひとつ。

そんなチームの中でバレーに取り組み、学び、鍛えられ、身長にも恵まれ、いつしか『エース』というポジションでプレーしている自分がいた。

目指すは全国大会

《試合に出て勝つ=トップになる》

競技スポーツをするうえで、わかりやすい目標で、当然のように目標になっていた。

ワールドレベルではないし、Vリーグでもない。

一般社会人のレベルではあるが、トップを目指す。

そこにある全国大会。

その県予選が夏の暑い時期に開催された大会だった。

暑さとの戦いでもあったが、そんなときキツい練習をしてきたことが活かされるのかなと思えた。

何年かチャレンジしたが、決勝で負けたり、惜しい試合もあった。

30歳目前についに

30歳になる年、(まだ29歳だったが)その年の大会予選は、やはり暑い日だった。

初戦から強いチームと当たり、足が痙攣したのを覚えてる。

マッサージをし、スプレーを吹きかけ、

「がんばってくれ、俺の脚」

と言い聞かせながらも、それでも、

「持ってこーい」(ハイキュー!!かあ)

と自分を鼓舞するように、無理やりに。

その後、競り合いを制し、その後の試合も、何とか決勝も制することができた。

決勝が終わった時に、

「やった~」

と絶叫したかったが、その元気は残ってなく、声が出なかった。

ベンチも含めチーム全員で勝ち取れた『勝利』、『全国大会の切符』

何度かの挑戦でやっと手に入れた『全国大会の切符』

うれしかったな~。

決勝が終わった後は、たぶん軽い熱中症だったのか、記憶も曖昧でヘロヘロだった。

でも帰った頃は元気になってて、祝杯で違う症状のヘロヘロにまたなってた(笑)(笑)(笑)。

全国大会で東京に

全国大会の会場は東京体育館だった。

広いアリーナ、広いギャラリー、でっかいオーロラビジョン・・・何もかもデカい広い。

そんな印象だった。

さすが全国大会、当たり前だが、どこのチームを見ても強そうに見える。

前もって聞いていた、

「雰囲気に飲まれるなよ」

という言葉を思い出し、いつも通りを心がけた。

全国大会へ行くことが目標だった。

そのコートに今立っている。

開会式で整列した時、

ふと

「本当に来たんだな」

と思った。

何年も目標にしていた場所。

暑い体育館で汗を流した日も、負けて悔しかった日も、全部ここへ続いていた。

でも今振り返ると、全国大会そのものより、そこへ向かうまでの仲間との時間の方が大きな財産になっている。

練習後のビールも、試合に負けて悔しがった日も、全部ひっくるめて今の思い出になっている。

人生って不思議なもので、目標にしていた場所へ着いてみると、本当に残るのは結果だけじゃない。

試合結果は『ベスト8』

自分を含め、チームの内容は良かったと思う。

緊張もなかったし、全員の動きもよかった。

つまりこれが実力ということかな。

準々決勝で負けてしまったが、その相手チームが優勝したので、

「仕方ないよな」

とみんなで慰めあった(笑)

余談ですが(付録的な)

この全国大会で、実はもうひとつ収穫があった。

女子チームで来ていた一人と知り合い、後に付き合うことになったのである。

全国大会はベスト8だったが、別の意味ではカップを手にすることが出来た(コラ!)(笑)

残念ながら妻にはならなかったけれど😅

でもこの出会いが、また別なスキーという道への案内になったのである(これはまたまた別なブログで)。


このブログは、自分の人生の事実をもとに書いています。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次