人生は不思議なもので、ひとつの出会いが、思いもしない次の出来事につながることがある。
前回書いたバレーボールの全国大会もそうだった。
全国大会そのものも大切な思い出だが、実はもうひとつ大きな出来事があった。
大会で知り合った女性と、その後付き合うようになったのである。
残念ながら妻にはならなかったが(笑)。
その出会いがなければ、私はスキーを本格的に始めることもなかったと思う。
と言えば、カッコいいが、彼女とスキーをしたいという不純とも言える動機だった😅
スキーとの出会い

もちろん、それまでスキーをしたことがなかった訳ではない。
雪国育ちという訳ではないが、県内でも山間部には、そこそこの雪は降る。
冬になると学校行事などでスキー実習もあったりして、滑ることはあった。
スキーの楽しさはわかっていたが、それは遊びの範囲。
スキー場に行くのは、せいぜい年に1~2回程度だった。
それも毎年という訳ではなく、そういった行事がなければ、なかなかスキー場に足を運ぶのは難しかった。
ところが彼女はスキーが好きだった。
冬になると、
「今度一緒に行こう」
という話になる。
最初は軽い気持ちだった。
車もあったし、自分でスキー場まで行ける。
ところが道具がなかった。
急遽、ショップに駆け込み、一式を買った。
いざスキー場へ

そのまま新品の一式をもって、いそいそワクワクしながらゲレンデに出ていった。
景色はきれい、雪山のひんやり(はっきり言って寒い)した空気、その日は天気も良かった。
少し経験があったから、そのままリフトには乗れたので、ゲレンデの上部に立った。
とは言っても、初心者用の緩中斜面。
でも、何かが違う。
学校の実習で滑ったのは、かなり緩い斜面だったのだが、今立っている場所は、それより少し急なところ。
今なら超緩斜面なのだが、大人になって再開した者には『恐怖心』が先に立った。
が、意を決して滑り始める。
バレーやゴルフで鍛えた筋力には自信はあったが、その滑っている姿は、腰の引けた不格好なスタイルであったことはおおよそ想像できる。
もちろん、20mほどで転んだ。
そこでモゴモゴと立ち上がろうとしていると、
「何してるの~」
と、彼女が横を滑って行ってしまったのである。
初心者に毛が生えた程度のレベルではあるけど、少なくとも私よりはちゃんと滑っていた。
それが、情けなくもあり、何より悔しかった。
負けず嫌いな私に、受け入れなければいけない事実をたたきつけられた瞬間だった。
何度も転んでは起き上がり、余計なところに力が入っているものだから、冬なのに汗だくになっていた💦💦。
きれいな景色も、スキー場の雰囲気も味わうことなく、一日が終わったころには、バレーの試合後みたいに汗をかき、ヘロヘロになっていた。
スキーってこんなにしんどかったっけ?
というのが正直な初日の感想だった。
何しろ30歳からのスタートは、恐怖心というのが先に来る。
若い頃、もしくは小さい頃からスキーになじんでいるのとは、差が大きい。
「スキーってこんなに怖かったっけ?」
というのも、もう一つの感想だった。
負けず嫌い発動
スキーで、滑れないという事実をたたきつけられて、そこで負けず嫌いが発動されてしまう。
負けず嫌いと言っても、どちらかというと、内に秘めるタイプで、一人で悔しがっていた。
バレーもゴルフも音楽もそうだった。
やるなら少しでも上手くなりたい。
そう思ってしまう自分がいた。
冬になると雪山へ
気づけば冬になるたびにスキー場へ向かっていた。
休みの日はもちろんだが、スキーは一人でもできるため、仕事が終わってからナイターへ行くことだってできた。
なので、仕事終わりにナイターに行って『コソ練』を時々するようになった。
今考えると元気だったと思う(笑)。
雪道を走り、何時間も滑り、夜遅くなって帰る。
若いからできたのかもしれない。
そのころには、彼女とスキー場デートしても置いていかれることはなくなってた(笑)
だから楽しかった。
でも、あくまでも『レジャースキー』の域でしかなかった。
そんなある日 1

近所の人に、
「スキーしてるの?最近時々(スキー)板を見かけるけど?」
と言われ、板を見られていたのならもう隠せないので、
「へたくそだけど、最近始めたんですよ」
と伝えると、
「今度、スキーに行こうか」
という話になった。
でも、その人と個人的にスキーに行くことはなく、その代わり、
「来月、スキー部がやってる合宿があるから参加しないか?」
という誘いを受けた。
地元には、体育協会スキー部という組織があり、バリバリのスキーヤー集団というイメージの団体が存在した。
そんな団体がやってる合宿なんだから、
「俺なんて無理無理!!へたくそだし」
と思い、断るつもりでいた。
そんなある日 2
また別な人から
「スキーしてるんだって?」
と言われた。
その人は□□さんと言って、大工さんをしてて、後にウッドデッキを作るとき知恵を貸してくれる人。
当時は『スキーと言えば□□さん、凄い人』と言われていた人で、実際滑りを見ることになるが、感動しかなかった。
人間的にも優れた人で、後に『師匠』として私が勝手にあがめた人なのです。
その時の話の続きだが、
「スキーはしてるけど、へたくそで」
というと、その人も、
「今度スキー部の合宿があるから、来ればレベル別に教えてもらえるぞ」
断ろうとしてた『合宿』にまた誘われ、□□さんも誘ってくれたんだし、
「じゃあ、まあ行ってみようか」
という気になったのです。
中身の濃い合宿の2日間

合宿のスケジュールは、1泊2日で行われ、実際の講習会やその他の行事は、初日の午後から2日目の午前中まで。
つまり、初日の午前中と2日目の午後は皆さんフリーで滑っている。
いきなり初日の朝、衝撃を受けることになる。
そのころの私のレベルは、ど初心者レベルは何とか脱していて、ある程度の急斜面でも、ゆっくりなら滑ることが出来るようにはなってた(コソ練の成果かな)。
ゲレンデ上部へ上がると、ぼこぼこコブコブ斜面が待っていた。
私は端の方の比較的コブのないところを、ズルズルと降りるしかなかったのだが、そのコブの中を皆さんひょいひょいと降りていく。
特に□□さんの滑りは、その中でも群を抜いていて、ひょいひょいじゃなく、バンバンと凄い勢いで降りて行った。
□□さんの滑りを見たときの衝撃と感動は今でも忘れない。
合宿を終えて
正直合宿の講習内容とかは、頭に入っていなかった。
□□さんの滑りだけが、大きな衝撃としてメモリーの大部分を占めていた。
夜の懇親会は楽しく、飲みながらいろいろ話が出来て、
「あの人は、正指導員だよ。この人は準指導員だよ。」
とか、1級の人、2級の人と、そういうひとつのランク(本当は少し違うが)があるのも知らされた。
少し簡単に説明すると、バッジテストと呼ばれる検定があって、2級合格したら1級を受験資格ができる。
同様に1級→準指導員→正指導員となる。
厳密に言うと、1級→テクニカルプライズ→クラウンプライズという方向性もある。
長くなるので、ここでは割愛😅。
冬になると雪山へが加速
衝撃の合宿から、さらにスキー場に通うことが多くなった。
□□さんのようになりたいというのが、いつの間にか目標になっていった。
だから□□さんを師匠とあがめるのは、当然と言えば当然(笑)。
幸いなことに、バレーにはシーズンオフというものがあった。
シーズンオフは自主練ということで、ちょうど都合もよかった。
もうひとつ、このころ彼女と別れてしまい、でもそれがスキーに集中できたのも都合がよかった。
「すいません、噓言ってました。辛かったです。」
指導員なんて無理だと思っていたのが・・・

スキー人生の中で、正指導員どころか、1級も高嶺の花だと思ってた。
でも、スキー部に所属し、合宿に参加しだして3年目だと記憶しているが、□□さんが講師をしてくれた時があって、
「上手くなったなあ。2級なら取れるぞ、うまくいけば1級も行けるぞ」
とそそのかされ、検定受験をすることに。
ちょうどその年から、2級なくても1級が受験できるということになった(その後その制度は廃止)。
「どうせ受けるなら1級に挑戦してみ」
と師匠がおっしゃるので受験を決意。
1級受験
当たり前だが検定というものには種目というものがある。
ただ受験まであまり日にちがなかったので、かなりのにわか仕込みで受験に臨んだ。
すると、本当に合格してしまったのです。
その時は嬉しかったけど、
「あれで1級なんか?」
と言われないようにと、練習に熱が入るようになった。
ただ、楽しむことも忘れないようにしていた。
1級を手にしたことで、スキーに対する意識も大きく変わっていった。
シーズン中は可能な限りゲレンデに立ち、基礎練習や、コブにも積極的に入り練習の日々。
そこからは、当たり前のように準指導員受験を目指すようになった。
最初はそういう資格所持者が、雲の上の人という存在だったが、このころから追いつけ追い越せと自分の中でも変化が・・・。
そして準指導員受験
クラブ内でもしばらくは準指導員を目指すという人がいなかったらしく、久しぶりの受験者だった。
『当たって砕けろ』精神で何もわからないまま、受験に臨むことに。
単位取得の意味もあるのだが、事前に実技講習が何日もあり、受けたのだが、最初は用語が理解できなかった。
少しづつ用語も理解しながら、実技指導も受け、あとは個人練習をすることの繰り返し。
と、もうひとつ、理論試験もあるので、家では用語を覚えるのを含め、色々とお勉強。
そんなこんなで、あっという間に受験当日。
まず理論試験からスタートし、ゲレンデでの実技試験。
緊張してて、最初のうちは体が動かず、ロボットのような動きだったのではなかろうか。
でも3種目目くらいからは、イメージを頭の中に作っておいてスタートしたら上手くいくようになっていった。
結果は、合格!!
よかったーとすぐ、師匠に報告。
「やったなあ、おめでとう。これからは指導者の仲間入りだ」
と、喜んでくれた。
その後は、当たり前のように『正指導員』というものに向かって、階段を上っていくことになるのだが・・・。
自分の今後を考えると、モヤモヤするものがあるのも確かだった。
正指導員受験
その後、何年か後に周りからも正指導員の話が出るようになる(準指導員取得後3年が必要)。
当たり前のように受験を考えるようになる。
師匠からも、
「正指導員を取れるのはお前しかいない。久しぶりに正指導員をクラブに持って帰ってくれ」
師匠に言われたら断れないというのもあるけど、クラブ内で10年以上、正指導員を誕生させていなかった。
「じゃあやるか。次のシーズン受験生になろう」
と決め、夏ころから準備に入る。
なんで夏に?と思うでしょうが、正指導員受験にも理論試験があり、準指導員より範囲も広く、覚えることが多い。
教程が7冊あって丸暗記とまではいかなくても、それに近いくらいしなくてはいけない。
だから、夏ころから準備(勉強)していた。
ちょうど、準指導員同期が同じく正指導員受験するということなので、電話やメールで情報交換し、勉強できたことは助かった。
そしていよいよ検定に臨むのだが、理論も実技も準備は完ぺきだった。
理論は、自己採点でも95%くらい答えられてる。
実技も全く緊張もなく、むしろ楽しく検定種目をこなしていった。
自信はあった。
結果も、見事合格!!
合格発表で確認した時は、自信はあったけど、小さくガッツポーズしている自分がいた。
師匠にすぐ電話した。
「正指導員になれました。合格です」
「やったなあ、本当におめでとう。ご苦労様」
と、お祝いとねぎらいの言葉を師匠からもらって、喜んだのを覚えている。
早速、師匠が個人的に、焼き肉で祝杯を挙げてくれた。
この時の、旨いビールと肉の味は忘れない。
人に教える立場になって思うことは
スキーを始めたころは、まさか自分が人に教えるなんて夢にも思わなかった。
でも実際、指導現場に立って、スキーを教えるということの難しさを痛感する。
自分が滑るだけなら、自分だけが理解していればいい。
それを誰かに教えるというのは、どう伝えるかが課題になる。
身体の動きとか、力の入れようとか、どう伝えれば本当に伝わるのか。
面白い部分ではあるが、難しい部分でもある。
『教える』というのは難しいよな~。
振り返ってみて
スキーの正指導員になれたのは、師匠がいたから。
スキーを始めたのは、彼女とスキーをしたかったから。
その彼女は、バレーの全国大会で出会った。
全国大会に行けたのは、中学の先輩が声をかけてくれたから。
その先輩は、私のことをギターを弾いているということで覚えていてくれた。
先輩が声をかけてくれたのは、中学の同級生が私の存在をその先輩に話したから。
でもその同級生は、まさか私が高校でバレー部に入っていたなんて、最初は知らなかった。
すべてが出会いの上で成り立っている。
途中のひとつが抜けていると後が成立しなくなる。
人生って不思議な縁で成り立ってる。
《個々の内容は他のブログを読んでいただくとパズルのピースがはまります。》
最後に
私はスキーが好きである(駄洒落じゃないよ~)
それを教えてくれたのは、いろんな出会いがあったから。
30歳から始めても正指導員になれた。
夢中になった時間。
どれも人生の大切な一部になっている。
最後に少し白状させていただくと、
「スキーは好きだが、それを人に教えることが自分に合っているのか?好きなのか?
たぶん答えはノー。
じゃあなぜ正指導員まで取ったの?と言われるだろう。当然である。
資格を取ったのは、クラブというものがあり、その中で活動する上で取るように促されるのがひとつと、自分のレベルのランク付けみたいなところもあり、イマイチしっくりこなかった。
それが前述の『モヤモヤ』なのである。
はっきり言うと人に教えたいという感情はあまりない。
もちろん、聞かれれば丁寧に答えるけれども。
他の指導員の皆さんには大変失礼な話だし、反感を買うのかもしれない。
だから、正指導員取得後10年で資格は返上した。クラブも辞めた。
『スキーは資格やランクじゃなく、楽しむところ』というのが私なりの結論です。ご理解ください。
このブログは、自分の人生の事実をもとに書いています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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